さて自習とはいったい何なのか(第3回)
- 寺子屋リンクス
- 6月24日
- 読了時間: 4分
🐺この記事は、寺子屋塾生の保護者様宛に配信した文章をブログ用にリライトしたものです。
寺子屋では、レギュラー通塾日以外の積極的な自習室利用を勧めています。この「自習」という行為の意義や考え方について、振り返ればこれまで十分には共有する機会がありませんでした。
そのため寺子屋と塾生/保護者との間で自習に対する認識のズレがあるという懸念もあり、中学の期末テストを前に、まずはこの場を借りて保護者様に共有させていただきたく存じます。
かなりの文量がありますので、以下の4つの順に分けてご説明いたします。また文中のキーワードは中学生を意識したものが多いですが、全体としては小学生にもそっくりそのまま当てはまる内容です。どうかお暇がある際に少しずつお読み進めいただければ幸いです。
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今回のトピック
(3)子どもの自由意思に任せるべきか否か👈
(4)いつから自習を始めるか
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(3)子どもの自由意思に任せるべきか否か
学力には精神の成長や心理的な問題が大いに関係していると申し上げました。
繰り返しになりますが、人間は基本的に怠惰な生き物ですので、放っておいてもそのうち勝手に自律的に勉強してくれるわけではありません。
勉強と対極の位置づけで語られやすいのが、部活動です。肉体を動かすことが単純に快楽と結びつきやすく、皆が同じ目的を持って行動するという集団心理やエンタメ性、情熱や感動も相まって、部活動はわりあい好意的に受け止められやすい傾向にあります。
一方で勉強はじっと座って脳にストレスを与え続ける行為であり、その成果も意義も見えにくくゴールも存在しません。情熱も感動も生まれにくく、そしてどこまでも孤独な格闘です。これが小中学生にとっては、はっきり言って面白くない。だから大抵は「勉強?え~嫌だ嫌だ」となります。それが子どもの自然な反応です。(問題は親までもがそのような思想を持って子どもを焚きつけている場合)
そのため、「家でやれないなら自習来いよ!」と私が塾生に言っても、
「えーーー......まあ、ハイ😅」とか、「行けそうだったら行きます😏(行く気ない)」とか、まぁ~ネガティブな反応を見せることが多いです。私を前にしてこんな状態ですから、家なら「エ゛~」だの「ウ~」だの、まるで柴犬のように拒否感がすごいと私は推察しているのですが、いかがでしょうか。
「そう、じゃあ仕方ないね。家でやるならその分しっかり責任もってやってね」
といったところで期待はできません。
なぜなら、自習を渋る子ほどメンタル制御が未熟な子(=精神的負荷を嫌う=学力好転の見込み薄)だからです。本人の望むまま一人でやらせたところで、勉強が進まないか、やっているつもりで方向性がおかしいかのどちらかです。そうして延々と同じサイクルを繰り返しながら学校の授業進度に引き離されていくのです。これは私が何度も見てきたループの世界です。
「子どもの意思に任せる」という言葉は一見すると "教育的" ではありますが、これは諸刃の剣で、使いどころを押さえないと逆に成長を妨げる可能性もある考えであると、この仕事をしていて感じる時があります。
精神的な成長のためには、変化するチャンスと一定の心理的負荷を与えることが必要ですが、そのチャンスや負荷を本能的に避けようとする子どもの自由意思を言われるままに尊重していたら、いったいその子はいつ、どこで、どうやって成長できるのか。
本当にそれが尊重すべき自由であるのかどうか、選別して毅然とした態度を示すのは全面的に大人の責任であり、"自由(=のように見えるただのワガママ)"を尊重してご機嫌を取ることは、長い目で見たときにはその子の、さらにはその下の世代の人生にもマイナスの影響が大きいと感じています。
ですので、もし自習を促して「エ゛~🐕」「ウ~🐶」という拒否柴反応が出たら、陽性も陽性、隔離推奨の危険アラートです。そういうタイプほど自習の重要性が高いことは明白ですので、通塾の都合がつく限り、心を鬼にして「つべこべ言わず黙って行け」と教室へ放り込むことが、いささか強引に見えるようで実は一番の薬です。
なにせ自習室利用は "タダ" です。自律(≒自立)のチャンスを、メンタル制御の格好の訓練場を、追加料金なしで利用しないことは本当に勿体ないです。
寺子屋リンクス 松村
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