さて自習とはいったい何なのか(第1回)
- 寺子屋リンクス
- 6月18日
- 読了時間: 4分
🐺この記事は、寺子屋塾生の保護者様宛に配信した文章をブログ用にリライトしたものです。
寺子屋では、レギュラー通塾日以外の積極的な自習室利用を勧めています。この「自習」という行為の意義や考え方について、振り返ればこれまで十分には共有する機会がありませんでした。
そのため寺子屋と塾生/保護者との間で自習に対する認識のズレがあるという懸念もあり、中学の期末テストを前に、まずはこの場を借りて保護者様に共有させていただきたく存じます。
かなりの文量がありますので、以下の4つの順に分けてご説明いたします。また文中のキーワードは中学生を意識したものが多いですが、全体としては小学生にもそっくりそのまま当てはまる内容です。どうかお暇がある際に少しずつお読み進めいただければ幸いです。
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今回のトピック
(1)自習の定義👈
(2)学力と精神の相関について
(3)子どもの自由意思に任せるべきか否か
(4)いつから自習を始めるか
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(1)自習の定義
まず自習と聞くと、一般的に「やりたい人が自由意思でやる勉強」というイメージが強かろうと思います。
これは今も昔もそうですが、学校の先生の都合で「この時間は自習していてください」と告知され、「よっしゃ勉強するぞ」とは滅多になりません。先生の監視が離れるのをいいことに、クラスメートとお喋りしたりダラダラしたり、つまり自習時間とは「やりたい人が勝手にやればいい、比較的制約が緩い勉強時間」、これが一般的な自習の受け止め方ではないでしょうか。
寺子屋リンクスの通塾生活に話を移すと、塾生の学習時間は大きく分けて「1. 契約時間」「2. ミッション(家での時間)」「3. 自習(自習室利用)」の3つで構成されています。これらの重要度の大小をランク付けしたとき、えてして一般的には次のような序列で受け止められがちです。
⭐⭐⭐ 契約時間
⭐⭐ ミッション
⭐ 自習
要するに、契約時間というのは子どもにとっては「通う義務になっているから」重要で、保護者にとっては「そこに直接お金を払っているから」重要だということになります。だから子どもは少々面倒くさくても時間になったらとりあえず教室に向かうし、保護者は休んだときには振替しなければならないと考えます。
一方で自習というのは義務でもないし、お金も発生しません。子どもにとっては「自習はやりたい人がやるものだが、自分にとってはそう思えないから」重要ではなく、保護者からすれば「行かなくたって特に損しているわけでもないから」重要ではない。一度キャンセルになった自習の予定を別日に振り替えた事例を、記憶にある限り私は受けたことがありません。
要するに自習とは、やりたい人が勝手にやり、子どもの自由意思で行きたいときに行くもので、そう頻繁に無理して活用するものでもない――というのが、ごく一般的な認識ということになります。
この認識は寺子屋が定義する自習の位置づけと大きくズレていますので、もし上記のような認識をお持ちの場合、塾生よりも先に保護者様と目線を合わせておきたいと考えています。
寺子屋の考える自習の定義とは、やりたい人が好き好んでやるものでも、やりたくなければ無理してやらなくてよいものでもありません。寺子屋の考える自習の定義は、
「教室での学習と一人でやるミッションとの、ちょうど中間の学習環境の確保」
です。寺子屋の目的が "自分で勉強する力" を鍛えることである以上、塾生自身の意思決定の比重が大きい学習時間ほど重要視されます。したがって、寺子屋の考える3つの学習時間の序列は以下のようになります。
⭐⭐⭐ ミッション
⭐⭐ 自習
⭐ 契約時間
つまり週3回(小学生なら週2回~)の契約上の時間は、「義務感」「指示待ち」「受け身」の比重が大きいという点で、学力の改善向上という目的においては初歩中の初歩のクリア目標でしかなく、そこから一人で意思決定をする比重が大きくなる自習→ミッションという順で重要度が高まり、その達成度に比例して学力が好転していく、というのが寺子屋のスタンスです。この認識を通う側・通わせる側の両者が正しく持たなければ、良い成果は生まれにくいと考えています。
一見これは塾というものの在り方と矛盾するようですが、決してそんなことはありません。同じことは入塾前の初回面談でもお伝えしていますが、通わせることがマンネリ化してくると、子どもだけでなく大人もつい忘れがちなことですので、この場を借りて改めて説明させてください。
寺子屋リンクス 松村
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