2021年10月4日

やる気がない子のやる気をONにする魔法とは?(1)

最終更新: 2022年6月5日

基本、ない。

おしまい。

……という身も蓋もない結論で終わってしまっては、あまりにお粗末だろう。もう少し話を続けることにしようか。

もう10年以上前に放送されたテレビCMで使われた、「やる気スイッチ」という言葉のインパクトが相当に強かったせいだろうか。あるいはそれ以前からかもしれないが、「やる気」という心理状態が、何かのキッカケで(得てして他人の力添えによって)「むくむく湧いてくる」あるいは「みるみる溢れてくる」ものだというイメージを、もしかすると私たちは意図せず持たされているのかもしれない。

しかし、本当にそうだろうか。やる気というつかみどころない言葉の正体について、もう少し深く考えてみる必要があるのではないだろうか。

私個人としては、やる気というものは「ある」といえばあるし、「ない」といえばないようなものだと思っている。そもそも、やる気とは何だろう。

これも多分に私個人の解釈だが、やる気とは、「惰性(だせい)」の一種である。

※だせい【惰性】 なかなかやめられない(新しい方針に切り替えることができない)習慣。「~に流される/~を断ち切る(排する)」(『新明解国語辞典 第七版』より)

上記の定義でいくと、惰性とはふつうネガティブな意味として使われる言葉だが、ことに「やる気」について言うならば、良い意味での惰性であるというのが私なりの解釈だ。

やる気の正体についての話をさらに進めるにあたって、子どもの勉強の話をするより先に、まずは私たち大人自身の立場で考えてみよう。さて、ここで質問です。

***************

Q.あなたは家事が好きですか?

 YES

>NO

***************

YESと答えたあなたは素晴らしい。家事を楽しめることは天性の才能に違いないから、ぜひそのままのあなたでいて下さい。なんならうちの教室で清掃アルバイトをしませんか。

NOと答えた、性根が怠惰なあなた。気が合いますね。ご安心ください。私もです。

さて、おそらく半数以上の人にとって、家事というのは根源的に面倒臭いものなのだと思う。掃除も洗濯も炊事も、できることならやらずに済む方がいい。

にもかかわらず、そんな面倒な家事を私たち大人がそれなりにこなして乗り切っているのは、「必要に迫られているから」だ。やらないと困ったことになる。だから面倒でもやらざるを得ない。

たとえば定期的に片付けをしないと、部屋が荒れて足の踏み場もなくなるし、トイレを綺麗にしておかないと、不衛生で悪臭が発生する。同じ下着を洗わずに何日も着用するのは気が引けるし、かといって洗濯しないと着るものがなくなる。食事については言わずもがなだ。

では、もし仮に、だ。

これらの家事をやらなくても全く困ることがなく、しかも誰にも迷惑がかからないとしたら、それでも私たちは進んで家事をしようと思うだろうか?

否。私だったらやらない。

極論を言えば、掃除なんてしなくたって勝手に部屋がキレイになってほしいし、なんなら洗濯なんて面倒なことしなくても、常に魔法の力か何かで衣類が浄化されて、次の日にはキレイになっていてほしい。あるいは無尽蔵にお金が湧いて出る打ち出の小槌みたいな宝具があったなら、金に物を言わせて使用人を雇い、家事の一切合切を任せるに違いない。

しかし、そんなドラえもんみたいな世界、私たちが生きている間には絶対に実現しないだろう。アラブの石油王にでもならない限り。

そういうわけで、やらなくても不都合がないような面倒な雑事に対し、それらを自分の意志だけで律し、継続することは難しい。

それでも私たちが面倒事に立ち向かい、それなりに淡々と捌いてやっていけているように見えるのは、「それをやらない方がもっと悪い結果を招く」という外的要因の影響が大きい。そうして必要に迫られてやっているうちに、だんだんとそれが板に付いてきたというのが事実だろうか。これが良い意味での「惰性」によるものだと私は考えている。

人は元来弱い生き物である。誰かにリードしてもらうことで始めて一歩を踏み出すことができたり、そうせざるを得ない環境にあえて自ら身を置くことで強制的に行動のきっかけを作ることは、何もおかしいことでも恥ずべきことでもない。それが人間なのだ。

大人がそうであるならば、子どもの勉強もまた、同じことが言えるのではないだろうか。

(次回に続く)

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