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礼儀とマナーと気づかいと(1)

うちの塾は「勉強をするための場所」ではありますが、教育機関とは違います。基本的なしつけは各家庭が担うべきだと思いますし、集団内における振る舞い方の訓練も、基本的には学校の役目によるところが大きいと思っています。


だから、礼儀やマナーの指導を前面に出してアピールすることはありません。ただし、「アピールしない」ことは「指導をしない」こととは別です。だって、全てのしつけが家庭教育で完結できるわけでもないでしょう。それができたら苦労はしないはずで。学校における集団行動の訓練も完璧であるはずも……ない。


私たちの社会における立ち振る舞いのバランス感覚は、家と学校の二方面での訓練をあくまでベースしつつも、たとえば友達関係、祭りなどの町内会の集まり、職場体験などでの赤の他人の大人との対話、アルバイト先での職場関係……など、様々な方面の第三者・第四者と関わる体験を徐々に広げながら経験値を積んでいくことで体得していくものではないでしょうか。


寺子屋リンクスもそのような第三・第四のコミュニティに位置づけられる以上、「勉強さえやっていれば何をしてもいい」などとは決して言えません。特にうちの場合、学校も学年も成績も異なる生徒が同じ教室に集まるのですから、その空気感や学習環境の微妙なバランスをうまくコントロールしていかないと、たった1人の規律違反が全員に影響して、教室全体の意識にヒビが入ることになります。


ともすれば、やはり集団内での振る舞い方のイロハを教えることは、それがメインの業務ではないにせよ、寺子屋では避けて通ることはできないと考えます。どこまで踏み込んだ指導をするかのラインは、家庭での教育方針との噛み合わせもある以上、たいへんに悩ましい問題ですが、決してそこの指導がうちの本分ではないことを前置きしつつ、今回は礼儀とマナーに関する寺子屋の考えについて掘り下げてみたいと思います。


 

(1)挨拶

(2)消耗品と環境の整備

(3)約束を守ること

(4)まとめ

 

(1)挨拶


寺子屋では入室時と退室時に、必ず挨拶をする約束にしています。といっても、別に腰を45度曲げろとか、口角を上げて笑顔を作れとか、そんなマナー講師が商売するような指導ではありません。自分が入室する前からにいた人や、自分が帰った後にも残る人に対して、始まりと終わりの報告の一環として、声掛けをきちんと行うべきだというだけのことです。「こんにちは」だろうが「ンちわ」だろうが、また「さよなら~」だろうが「お疲れ様でした」だろうが、その辺は何でもいいのです。


当たり前のことだと思うかもしれませんが、子どもたちにとって、意外に挨拶とは当たり前のことではないような気がします。黙っていると、何も言わずにスッと入ってきて、返るときもいつの間にかいなくなっている、などということも珍しいことではありません。これは家庭のしつけがなっていないとは必ずしもいえず、もともと挨拶というのは子どもにとって心理的なハードルが高い行為であるように私は思うのです。


朝に校門前に立ってじっと生徒を待ち構えている先生のように「挨拶のためだけにそこにいる人」相手ならいざ知らず、何か別の作業に集中していたり、他の人の応対をしている大人に対して声を掛けるという行為に対し、「この状況で声を掛けてもいいのだろうか」と抵抗を感じることは、ごく自然なことであると思います。


しかし、これは私たち大人のビジネスにおいても同様ですが、いざ報告や相談が必要な事案を抱えたときにビクビク空気を読んで声を掛けるのをためらっていては、目の前の問題が解決に向かうことはありません。まして挨拶すら空気を読んでためらっているようでは尚更のこと。声を掛けられただけで怒る人は滅多にいない(仮にいたらその人の品性に問題がある)のですから、まずはこちら側が歓迎する意志を示して積極的な声かけを促してあげる必要があります。


「だーいじょうぶ、大丈夫。どんなに忙しくても挨拶を受けて不快に感じる人はそうそういないから、まず来た報告や退室する報告の代わりに、挨拶は毎回の習慣にしましょう」


となるわけです。


(次回へ続く)


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