子どもの頃、何か悪いことをしたとき「よく反省しなさい」などと言われたことはなかっただろうか。
だが、その反省とはどのようなことをいうのか、それを筋道立てて説明を受けたことはあっただろうか。あるいは大人になってそれを子どもに要求するとき、反省とはどうすることなのか、事前に説明をしたことはあっただろうか。
反省の意味について、辞書ではこう書いてある。
【反省】自分の今までの言動・あり方について、可否を考えてみること。(新明解国語辞典第七版)
ここでは勉強の話に照準を絞るとして、さてお子さんは自分の勉強に対して、きちんとした反省ができるだろうか。
各校とも期末テストが終了し、総合結果表も出ていることだろう。寺子屋では結果返却後に、毎回テスト反省会を行っている。今回の期末テストの結果について、問題用紙と答案用紙と見比べながら、塾生に成果と改善点を書き出してもらっている。
実際に反省会をやってみると分かるのだが、成績の良し悪しにかかわらず、入塾して初めて反省会を迎える子は、おしなべて全員が、
「漢字は全部取れた」
「歴史はだいたい合ってた」
「方程式の文章題が全然できなかった」
などといったことを挙げてくる。これでは全然反省にならない。
何がマルで何がバツなのかは、事前に学校の先生が採点を通して明確に教えてくれている。見れば分かるものを、わざわざ文章に書き起こすことは二度手間でしかない。見れば分かることは書かなくてよいと事前に伝えていても、最初は皆こんな感じである。そうして塾長に書き直しを命じられるという経験を、どの塾生も一度は持っている。まあ、通過儀礼みたいなものだ。
つまりはこういうことになる。
誰の手引きも受けることなくテストの結果を意識的に反省できる子は、ほぼいない。
一部の特異なケースを除き、ほとんどの子は、反省とは「何ができた」「何ができなかった」という結果をリフレインすることだと思っている。
というか、それ以外できない。これが標準だと考えてよい。
そもそも反省とは何か、その思考の筋道について教えてくれる人が今までいないのだとしら、反省できないのは当然じゃなかろうか。箸の使い方、自転車の乗り方ひとつとっても、はじめは誰かの補助ありきでスタートしたのだから、反省することだって、はじめは誰かの補助がないとできるはずがないと考えるのが妥当であるように思う。
(次回に続く)
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